小説『初雪ちゃん』(個人依頼)
イラスト・動画:橡こりす様(@korisu_1214)
小説:八島礼
ジャンル:現代メルヘン
可愛らしいイラスト動画にノベルを付けさせていただきました。
ぬくもりに触れては消えていく淡き存在。
命は水だと言うのなら、雪はきっと誰かが流した涙なのではないかと思いました。
動画の音楽をリピート再生しながらお読みいただけますと幸いです。
●化身
音もなく舞い落ちる雪は何処から来るのだろう。
朝には溶けて消える雪は何処へと行くのだろう。
夜の街を行く男の目の前を掠める白いひとひら。
冬の使者を受け止めようと差し出した手のひら。
ぬくもりに触れる前に雪は少女へと姿を変えた。
「わ! すごいすごい! わたしヒトになっちゃった!」
両手で作る皿の上、元気に飛び跳ね問いかける。
「ねぇねぇ、どうしてわたしに気づいたの!? どうやってわたしをヒトにかえたの!?」
「ただの偶然だよ、可愛い雪の妖精さん」
好奇心を映すつぶらな瞳。
冬らしからぬワンピース。
大はしゃぎする雪の化身につられ、仕事に疲れた男も思わず破顔する。
「君が他の誰でもなく僕の元へ来たのは、これから何か良いことが起きる兆しかな?」
「キザシじゃなくてエニシかもよ!? だって雪は溶けてもまた冬に降るもの!」
「それならいつかの冬に君と出会っていたのかもしれないね」
少女は胸元に付けた透明な一粒玉を両手で掴んで男に見せる。
「これを見て! この中に生まれ変わる前のわたしの記憶が詰まっているの。あなたなら見えるかしら!?」
覗けば手繰り寄せる糸が心の奥底の記憶を釣り上げる。
水晶玉に映る冬景色をいつかのどこかで見た気がした。
●黄色の毛糸帽
言われるがまま覗いてみれば白い世界に黄色い点。
吹雪に目を凝らしてみれば毛糸帽を被った幼い子。
「あれは僕だ」
呟くといつしか男も冬の嵐の真っ只中。
風に逆らい歩む親子に眼差しを眇めた。
「あの女の人はあなたのお母さんなのね!?」
「そう、あの日母さんは僕を連れて家を出た。うちは子どもの頃に離婚してさ」
行く手は雪の礫に阻まれ足跡は瞬く間に消える。
はぐれぬようにと繋ぐ手は痛いほどに強かった。
「あの帽子、母さんが手作りしてくれたんだ。でもいつの間にかどこかに行ってしまったな」
「消えたの? 雪みたいに?」
「多分解いて毛糸に戻したんだと思う。僕が大きくなって帽子が小さくなったからね」
「それじゃきっとあの帽子も別のものに生まれ変わったんだわ!」
亡き母の面影が遠ざかると、雪の精がまじないを唱える。
『初雪、沫雪、ぼたん雪。黄色い毛糸の玉飾り。涙で溶かして雪になれ!』
玉飾りを見つめるうちに白い世界は黄色く染まる。
流した涙が凍りついても春にはまた溶けるだろう。
●赤いビー玉
少年が皿に載せて運ぶのは雪で作った赤い目の兎。
枕辺に置くと老婆の嗄れた顔にも笑みが浮かんだ。
「可愛い! 雪兎ね! あの赤い目は何で出来ているの!?」
「ビー玉だよ。赤いのは珍しいんだ。婆ちゃんが二個あるなら雪兎の目にしようって言ってさ」
寝込むたび仕事の母に代わって看病してくれた祖母。
外で遊べない代わりにと慰みに作ってくれた雪の兎。
「お婆ちゃんは病気なの?」
「そう、風邪をこじらせたんだ。いつも僕にしてくれたみたいに兎を作ってあげたら、風邪なんかすぐ治るんじゃないかと思ったんだけど」
真似て作った赤いお目々の小さな兎。
老婆の濁った目から流れる澄んだ涙。
「寝込んでから逝くまであっという間だったよ」
雪兎は溶けてなくなり祖母は死んで天国へ。
雪も涙も消え果てて赤い玉だけが残される。
「ビー玉はどうなったの!?」
「一緒に骨壺に入れて埋めたよ」
魂は天へと上り、欠片は今なお土の下。
『初雪、沫雪、ぼたん雪。真っ赤な目玉の雪兎。生まれ変わって雪になれ!』
玉が赤く色づくのを見つめながら男は少女の言霊を聞く。
生まれ変わるというその言葉が叶えばいいと願いながら。
●真珠の耳飾り
降り出した雪が街路灯に照らされてちらほらと煌めく。
口付けに火照る娘の両の耳では一粒の真珠が煌めいた。
「あ、キスしてる!」
急にゴメンと照れながら男が詫びると、女はバカと恥じらって悪態を付いた。
「うふふ、見ちゃった、見ちゃった! でもどうしてあの女の人は怒っているの?」
「突然だったからね。こういうのはお伺いを立ててするものだって怒られたよ」
初めてできた彼女と初めてのデート。
クリスマスに交わした初めてのキス。
「高校を卒業しても彼女とずっと一緒だと思ってた。だけどそうはならなかったな」
「どうして? 別れちゃったの?」
「彼女はこの後すぐに亡くなったんだ」
彼女が感極まって流す涙を舐め取った口唇。
雪の味がしたことを舌は今でも覚えている。
「誕生日にバイト代で貯めて贈った真珠のイアリング……彼女によく似合っていたな」
「あの真珠玉もどこかへ行っちゃったの?」
「ああ、事故以来どうなったか聞けずじまいだ」
彼女が連れて行ったのだと思いたい自分がいる。
不幸に見舞われた彼女にも幸福な日があったと。
『初雪、沫雪、ぼたん雪。真珠の一粒耳飾り。愛しいあの子も雪になれ!』
若い娘の嬉し涙が玉をパールホワイトに輝かせる。
懐かしく見てはほろ苦い恋の思い出に胸を痛めた。
●ピンクのくま耳帽
白銀色の玉がピンクに変わると女の指先が映し出される。
二本の編み棒が作るのはピンクのボンボンとボンネット。
「あ、また毛糸の玉だ!」
「母親と言うのはみんな同じかもしれないなぁ。子どもに手編みの帽子を被せるんだって張り切ってたよ」
妻の姿に己の母を重ね合わせると、感傷に浸る間もなく問いが来る。
「玉がふたつあるよ?」
「熊の耳に見立てて頭に二つ付けるんだ。ベアーボンネットで言うんだって……妻が教えてくれたよ」
間もなく生まれてくる初めての子は女の子だと聞いている。
帽子にボンボンを付ければピンクのクマさんのできあがり。
大きくなった腹を愛しそうに撫でて降り出した外の雪に日を数える。
夫もまた腹の上で手を重ねて早く生まれて来いと誕生を待ちわびた。
「元気に生まれてきてさえくれればそれで良かったのに」
突然苦しみだした妊婦を為す術もなく見守るしか出来なかった。
死産と告げられごめんないと泣いて詫びる声が今なお耳に蘇る。
「赤ちゃん、死んじゃったの?」
「ああ……また子どもを作ればいいって慰めたら、この子はこの子だけだって言うんだ」
「そんなことないよ! だって命は水、水は雪になるんだから!」
『初雪、沫雪、ぼたん雪。ピンクの熊の耳二つ。流れる命よ雪になれ!』
少女はピンクに染まる玉を手に男の頬にそっと口づける。
ぬくもりに触れるとたちまち少女の体は溶け出し始めた。
「またすぐ会えるよ! だから泣かないで、パパ!」
●初雪
どうして自分は誰かと別れなければならないのだろう。
どうして自分は誰かをいつも泣かせてしまうのだろう。
雪の記憶は涙の記録。
流れた命の名残の雫。
「そうか君はまた生まれ変わるのか。そうやって何度も僕と巡り合っていたんだね」
「そうよ、だから悲しむことはないわ!」
初雪、沫雪、ぼたん雪。
最後のひと色貰ったら、春にも消えない雪になれ。
男はコートのポケットをまさぐると家の鍵を取り出した。
妻がくれたキーホルダーには青いトンボ玉が付いている。
「これはうちの鍵だ。だから戻っておいで。うちの子として」
「うん、約束! バイバイ、パパ! またね!」
胸の玉が青く滲むと雪の精はもうどこにもなかった。
男は濡れた手のひらを握って雪降る夜空を見上げる。
「また君と巡り会えますように。今度はもっとたくさん喋って、もっとたくさんいられますように。そうだ、君の名前は──」
男は命を降らせる天に向かって呟く。
ハツネとヒロユキの初めての子ども。
儚く消えた君の名前はハツユキだと。
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