小説『ダイヤモンドの骨』(個人依頼)

原案:シン汰様(@shinjiru_neko)
小説:八島礼
ジャンル:BL

お客様が考えた死んだ恋人の骨をダイヤモンドにするという切なくも美しい愛の物語に心惹かれました。

響とめぐるの名前はお客様が考えてくださったもの。

二人の詳細な設定は原案に合うように考えました。

また響にダイヤモンドのことを教える謎の男・朱鷺田を第三の人物として位置づけることで、愛に永遠や形を求めること、執着心が生む閉塞と解放などのテーマを3人それぞれの視点で語ってみました。

美しく、切なく、狂おしく────そんな愛の物語です。


1・炎とダイヤモンド


●死神


 炎は瞬く間に燃え広がり、あらゆるものを奪い尽くす。

 愛した人も、暮らした家も、思い出の品も、何もかも。

 形あるものはみな、無力に変わり果てた姿を晒すだけ。


 アパートを襲った未明の火事は、全焼を免れることは出来ないだろう。

 難を逃れた高城響は、寄木細工の小箱を抱えて安堵の吐息を漏らした。


 着の身着のまま逃げだして、鎮火した頃には何も残されてはいないだろう。

 それでもこの世でたった一つの、一番大事なものは失われずに済んだから。


「大切なものなのですね」


 怒りと悲しみの声が響く現場で、その声は場違いなほど穏やかだった。

 響が振り返ると、黒いスーツに柔和な微笑みを湛えた男がそこにいた。

 

「中身は遺品でしょうか?」


 簡単には開けられぬ絡繰りの箱。

 その中を見透かして男は尋ねる。


 響が無意識に箱を守るように抱きしめると、男は切れ長の眼差しを眇めた。

 品定めしたいのは箱の中身か、それとも響の胸の内か。


「こういう時に咄嗟に持ち出すものって、財布でも通帳でも印鑑でもなかったりするんですよ。亡くなった方の形見や遺骨であることが多いんです。だって無くしたら最後、もう二度と手に入りませんからね」


 響の肩が跳ね、眼差しは釘づけられる。

 この男はどうしてそれを知っているのかと。

 宝箱に似た寄木の箱は、今は亡き友の骨壺。


「持ち出せて良かったですね。温度次第では骨も残らずに灰になります。だから温度管理が大変なんですよ、火葬って」


 死神は心に奥の恐怖を呷り、不安を掻き立てる。

 近づく意図を計りかねて黙っていたけれど、響は隠し事など無意味と悟った。

 誰にも知られぬよう箱の中に隠した秘密を、自ずと綻ぶ口唇が漏らし始める。


「死んだ親友のものなんです」

「珍しいですね、ご遺族でもない方が遺骨をお持ちなのは」


 ああ、この男は知っている──

 もう口を閉ざすことも、嘘で誤魔化すことも出来ない。

 かろうじて弁明だけを許されると、地獄で裁判にかけられる面持ちがした。


「俺にとってはかけがえのない、たった一人の友人だったんです」

「とても深い間柄だったんですね。まるで恋人のもののようにも見えますから」

「それ以上です。めぐるは俺の全てでした」


 全て、そう世界の全て──

 他の何もいらないと思える程に。


「それは在宅中の出来事で幸いでしたね。不在時に災害や盗難に遇うことを考えると、肌身離さず持ち歩いた方が良いかもしれません。それでしたらどうでしょう? ダイヤモンドに加工されては? 遺族でない方が骨を所有としていると事情を問われることもありますし」


 本来自分の手元にあるはずもない遺骨は遺族から盗み出したものだ。

 警戒心と罪悪感を揺さぶった後、死神は営業マンへと顔を変える。


「申し遅れましたが私、葬儀会社の者です。遺骨からダイヤモンドを作成するダイヤモンド葬もサービスにございますよ。もし真剣に処遇をお考えであれば、永遠の象徴であるダイヤモンドにして身につけられては?」


 被害者から事情聴取するため警官が近づくと、実は仕事帰りだという葬儀会社の男は消えていた。

 響の手に『ダイヤモンド葬儀社』と書かれた一枚の名刺を残して。


●カーテン


 ダイヤモンドは永遠、閉じ込めた愛の記憶。

 金剛石の殻の中には、愛し合った日の面影。


 黒いベルベットのリングケースの中はダイヤモンドのプラチナリング。

 骨の成分で個々色が変わるという石は、燃え残った灰の色をしていた。

 男性向けにデザインされた指輪を左指に嵌め、太陽に翳してみる。


 指の間から漏れる光によって石に紗が掛かり、カーテンを引いた高校時代の寮室を思い出させた。

 響が小鳥遊めぐると初めて身を結んだときも、カーテンの向こうには日曜午後の日差しがあった。


 口唇を重ねたのはどちらからだったか、今となっては覚えていない。

 気持ちを言葉に変えるより先、衝動がお互いの肉体を突き動かした。


「ねえ、ずっと側にいてよ。響といると毎日が楽しいんだ。だから何処にも行かないで僕の中にいてよ」


 めぐるは響の一部で自分の隙間を埋めながら、いつも通りの台詞を繰り返した。

 いつもと違うのは男同士の絆が身体を繋げた途端、執着と依存に変わったこと。


 細身で中性的、クラスでは明るく振る舞うめぐるだが、人懐こさは寂しさの裏返しだ。

 寮室ではではうざったいくらいに人見知りの響に絡み、振り向かせようと必死だった。


 愛して、構って。僕を見て、側にいて。

 そんな風に、叫ぶように。


 ルームメイトにちょっかいを出してくるめぐるに、響は当たり障りのない返事をして距離を置いた。

 どれだけ親しい間柄、深い関係があろうとも、人はいずれ自分を裏切り、自分を捨てて去って行く。

 離婚して父親が他の女と家を出て行き、再婚して母が他の男と家庭を作ったように。


 心を守るために誰にも近づかず、誰にも踏み込ませない。

 高校を卒業するまでの関係なら、誰とも特別にならない。


 めぐるは響きが素っ気なくしてもお構いなしに話しかけた。

 いつしかそれが当たり前の日常となると、一年の終わりには友人になっていた。

 二年の夏には互いの匂いに安心し合えるようになり、秋には肌を重ね合わせた。

 きっかけは進路の話で、互いにこれからも一緒にいたいと打ち明けあったこと。


「離れたくない。ずっと側にいて。僕は響のものだから。何処にも行かないで」

「離さない。ずっと側にいる。めぐるは俺のものだ。誰にも渡さない」


 腰の後ろで絡めためぐるの脚が、逃がすまいと響を拘束した。

 首に回した腕は口唇を求め、わずかな吐息さえも奪ってくる。


 口唇から唾液を流し込むのは一つ覚えのマーキングで。

 体内に精液を注ぎ出すのも生まれ持った動物的本能だ。


 撒かれた種が実を結ぶことがないことを知りながら、行き着く先に何もないのを考えないことにして、これが愛だと呟いて、焦燥と情熱をぶつけあった。


 響はめぐるが初めてではないことを薄々察していた。

 突き出された尻の入り口の綻びは誰かのを通した後だ。

 気づかぬふりをして誰かの印に上書きするよう振る舞えば、めぐるは響の色に塗り替えられることを悦んだ。


 めぐるの切なげな声と苦しげな息づかいが響の脳を支配する。


「響、響、もっと、もっとひどくしていいから、僕の中にずっといて」


 休日の昼はカーテンで姿を隠し、平日の夜は口づけで喘ぎを殺し、他の誰も必要とせず、他には何も見えない。

 寮室という閉じた世界で、ただ二人、人目を憚りながら互いだけを求め続けた。


●罅


「響、僕たち、このまま腐っていくのかな」

「それでもいい。俺はめぐるとなら何処までもいける」


 めぐるはこの関係を腐り落ちるだけの果実に例えた。

 響はこのまま二人溶け合えるのなら本望だと応えた。


 進学して寮を出れば他の寮生の目を気にしなくていいと思っていた。

 社会人になって自立すれば誰にも憚ることなくもっと愛し合えると。


 だけどめぐるはこの部屋を出て行くと告げた。

 会社の同期の女性と結婚し家庭を持ちたいと。


「祝福されない秘密の関係を続けるよりも、お互いに離れて友達に戻った方がいい」

「何言ってるんだ。戻れるはずもないだろう? ずっと一緒にいてと言ったのはお前なのに」

「このままじゃ駄目なんだ。あの頃のままお互いだけが全てで、他の誰かを排除して世界を閉ざしても、行き着く先には未来はない。僕は殻の中で同じ日を繰り返すより、家庭を作って子どもを育て、孫に囲まれたいんだ。たくさん家族がいれば一人失っても平気、いなくなることを心配しなくてもいい。だからたくさん家族がいるんだ」


 めぐるが寂しがりなのは、日中働く親と結婚して家を出た姉たちに放っておかれたからだ。

 彼の求める愛の向こうに、家族に対する憧れがあったことを響はその時初めて気が付いた。


「今さら女を抱けるのか? 女のように俺に抱かれて善がるだけのお前が」

「離せ響、突然でお前を傷つけたことは謝る。だけどお前とこんな別れ方をしたくない」


 めぐるの別れという言葉が決意を物語り、響に怒りと悲しみをもたらす。


 響はめぐるを犯した。

 それは育んできた愛も、慈しんだ身も、何もかもを灰燼に帰す紅蓮の炎。

 抵抗が暴力に屈して止めば、逆らうことも求めることもない死骸が残る。


 愛を思い出させようと何度も楔を打てば、口から出るのはごめんと詫びる言葉だけ。

 独りよがりの絶頂を迎えてみれば、汚物を吐き散らすだけの行為と思い知らされる。


「その女に教えてやる。お前はこんな風に尻で男を咥えることが好きなんだって。知らされたくなければ──」


 なおも愛していると叫びながら、業火に身悶えて楔を打ち続ける。

 愛し合った肉はとうの昔に腐り落ちても、それなら骨の髄まで永遠を刻み込もうと。


●錯覚


 めぐるが車に跳ねられて死んだと聞かされたとき、響は彼が自分の手の届かない処へ逃げたのだと錯覚した。


 響にとってめぐるが世界の全てだった。

 その世界に致命的な罅が入っても、身を繋げば元通りになると思っていた。

 だけど罅の入った器は罅が入ったまま、元に戻ることなどありもしないのに。

 葬儀には行かず実家を訪ねて焼香すると、響は二人だけにして欲しいと人払いして骨壺から骨を盗んだ。


 白くて軽い小さな骨は、めぐるであった恋し人の欠片。

 激情をぶつけあった肉体はもうこの世の何処にもない。


 骨を手に入れた途端、響の胸に安堵が満ちる。


「逃がさない……もう離さない。永遠にお前と一緒だ」


 響は逃げられないように寄木細工の絡繰り箱に彼を閉じ込めた。

 そして罅割れた世界に目を背け、在りし日の追憶に身を沈める。


 美化された思い出を抱いて眠り、夢の中で彼と語り合う穏やかな日々。

 けれど炎はそれさえも奪おうと迫り、枕辺の箱一つ持って逃げ出した。


 在宅中の火事で届くところに箱が無ければ、骨すら炎に奪われていたはず。

 これからは片時も離れず側にいると、左指のダイヤモンドに誓いを立てる。


「めぐる、淋しかったか? もうどこへもいかない。もう離れない。俺がお前を守ってみせる。だからずっと二人だけでいよう」


 指輪を嵌めたまま出勤し、風呂へ入るときも外さず、やがて何処にも行かなくなった。

 いつでも見張って閉じ込めていなければ、めぐるはすぐに外に出て行こうとするから。


「めぐる、愛している、お前だけだ」


 ダイヤモンドは愛の印。狂った恋のなれの果て。

 骨までしゃぶり尽くそうとダイヤモンドに口づけた。



2・骨とダイヤモンド


●感覚


 ダイヤモンドが永遠なのは、亡き人の記憶が閉じ込められているからだと言う。


 小鳥遊めぐるにとってのダイヤモンドは、初めて肉と骨を感じさせた男の面影だった。

 共働きの両親。実家を出た二人の姉。

 家族がいても孤独な子どもを、家族の代わりに可愛がってくれたのは周介という名の隣の学生だった。


 親がいない昼の間、自分を預かってくれた隣の老婆の孫息子。

 学生服を着て眼鏡をかけた9つ年上の優しくて博識な少年。


「周兄だけだ、僕と遊んでくれるのは」

「お前は男子だからね。もし女子だったなら遊んであげられない」

「どうして?」

「大人の男は女の子と二人きりになっちゃ駄目なんだ。つい悪戯してしまうからさ」


 めぐるは自分にもこんな兄貴がいたらいいのにと思った。

 女と違い結婚して家を出て行ったりはしないだろうから。

 親よりも姉よりも誰よりも一番近くにいて、いつの間にか同級生よりも周介と遊ぶようになっていた。


 変わったきっかけは周介が自慰するのを見てからだ。

 ズボンから取り出されたそれは堅く勃ち上がり、手を動かせば白い液体が飛び散る。

 荒く息をしながらティッシュで拭う周介と、隠れて見ていためぐるの目があった。


「周兄」

「見たのか?」

「うん、ぴゅって飛んだ」

「大人になるとこうやってここから種を飛ばすんだ。それを女の人の中に撒くと子どもが出来る。でも種はどんどん作られるから、撒かないで溜めた分はこうしてたまに出してやらないといけないんだ」


 めぐるはズボンを下ろすと、周介がしていたたように幼い陰茎を扱いてみる。

 勃起することはなかったけれど、扱いてみればなんだかとても気持ちがいい。


「種、出てこないや」


 無邪気に言うめぐるの身体に周介が触れる。


「くすぐったいよ周兄」

「すぐに気持ち良くなるよ」


 服を脱がされ、肌をまさぐられ、気づいた頃には脚を拡げられていた。

 己の性すら目覚めぬ身に切っ先を突き立てられると、めぐるの口から悲鳴が迸る。


「周兄、痛い、痛いよ!」

「めぐる、大丈夫だ、すぐ済む。種を撒いたらすぐだよ」


 肉と肉とがぶつかり合い、皮膚の下の骨まで軋む。

 幾度も欲望のまま穿たれ、見えない鎖に繋がれる。


 老婆が畑に出ている間の昼下がりの密戯は、心の隙間を身体で埋めた。

 周介が地元を離れて進学すると、虚ろで飢えた穴は塞がれないままに。


 級友に囲まれることで孤独を紛らわせても、まっさらな身に刷り込まれた肉と骨との感覚に疼いた。


●キス


 響は誰に対しても優しいが、涼しげな風貌そのままに誰も近づけない少年だった。

 踏み込もうとすると見えない棘を纏い、壁を作って遠ざかる。

 人見知りだとか人付き合い悪いだとか言われている響の中に、めぐるは自分と同じ孤独の病を見抜いた。

 大勢の中にいて淋しさを誤魔化すか、傷つかないよう最初から深入りしないか、ただそれだけの違いだ。


 響の築いた防波堤を越えてみたくなったのは、一度入り込んだなら大事して貰えるという根拠のない自信があったからだ。


「響と同室で良かったよ。他の連中じゃいつ気が変わるかわからないし。その点響は誠実だ。信じるよ、響のこと。最高のルームメイトだ」

「調子いいやつだな。知ってるか? 親友って言葉はお金を借り寝るときだけ都合よく出てくるんだ。で、俺にどうして欲しいんだ?」

「あ、やっぱりわかった? 数学の宿題、終わってたら教えてよ。でも響と同室で良かったと思っているのは本当」


 他愛もない会話を重ねて距離を縮め、特別な感情をチラつかせる。

 彼のガードの堅さの原因はどうやら両親の離婚にあるらしかった。


「ねえ響、響にとって僕は何?」

「ルームメイト」

「それだけ?」


 めぐるが淋しそうな顔をすれば、響の手が肩に置かれる。


「友達と呼べるのはめぐるくらいだ」

「俺だけ?」

「ああ、めぐるだけだ」


 撓む眼差しに潜む情欲をめぐるは知っている。

 だから思わせぶりな台詞で響の身体に触れた。


 響の手が頬に移りめぐるの瞼が落ちる。

 口唇は吸い寄せられるように重なった。

 ぎこちない口づけは最初は啄むようで、次に舌と舌とを縺れ合わせる。


 めぐるは身体の奥を突き乱されることに慣れていても、口の中を掻き回されることに慣れてはいなかった。


 初めてのキスだった。

 初めて甘露を知った。


 肉の器に欲を吐き出すのではなく、愛を訴えて熱を注ぎ込む。

 貪り合う口唇は確かめ合う儀式で、視線までもが絡み合った。


「響、好きだよ。響になら、いい」


 めぐるが響きのシャツに手をかけると、響はその場に押し倒した。

 剥ぎ取るように互いの衣服を脱がし肌を触れ合わせると、股間の昂ぶりと荒い息とが切ないまでの求めを雄弁に語っている。


「めぐるはいいのか? 男に、と言うか、俺で」

「うん、響がいい。キスまでして今さらだよ」

「そうだな、もう止められない」


 響がめぐるの中に入り、めぐるが響を閉じ込める。

 久しぶりの感覚は思っていたよりきつくはなかった。


 成長して器も大きくなったからなのか、口唇に解されたのかは分からないけれど。

 めぐるは組み敷かれて責められながら、響の肩の向こうのカーテン越しに和らいだ光を見た。


 二人だけの秘密、二人だけの世界は、こんなにも愛しく、これ程までに狂おしい。

 響は幾度もめぐるを貫き、めぐるも繰り返し響に口付ける。


「好きだよ、響」


 面影が汗と精とに塗り替えられていく。

 かつての名残を振り切るように強請ると、めぐるの中で響が爆ぜた。


●檻


 高校を卒業した後もめぐると響の関係は続いた。

 学部は違ったけど同じ大学に進学し、ルームシェアの名目で同棲も始めた。

 新たな友人が増えても互いが一番で、夜ごと肉体を貪り合って繋ぎ合った。


 響の腕の中は心地の良い檻だった。

 響はめぐるを一途に愛してくれた。


 だけど響はめぐるが他の誰かと会っていると、それが職場の付き合いだとしても悋気を向けた。

 夜遅く帰った日には朝まで責めるように激しく抱き、何処にも行かせないと身体に躾け直して。


 愛情だと思っていたものは愛執。

 相愛だと思っていたものは依存。


 世界は罅割れてゆき、関係は腐り落ちるだけ。

 閉じたカーテンの向こうには眩しい光があり、部屋の外には目まぐるしい季節があるのに。


「会社の同期なんだけど、一緒に仕事していくうちにお互い支えたり支えられたりで、この人ならやっていけそうかなと思ったんだ。守ってやりたいとか、家庭を持ちたいとか、そんな風に考えたのは初めてだ」


 めぐるが告げたとき、響は先を聞くのを拒絶した。


「もう守られたい子どもじゃない。僕たちの関係は傷ついた雛が身を寄せ合うようなものだった。大人になったならそれぞれ巣立っていかないといけないんじゃないかな」


 のめりこみ、社会との付き合いを絶とうとする響に諭すと、皆まで言う前に口唇を塞がれた。

 荒々しく押し入る男根は凶器と化して猛り狂い、必死になればなるだけ泣き叫ぶようだった。


 響を自分の中に囲って、離れられないように優しく包み込むのが好きだった。

 響を自分の肉に埋めて、逃れられないようにきつく咥え込むのが好きだった。


 好きだと叫んで穿ち。愛していると訴えて放ち。

 始めるときには口づけを。終わった後には抱擁を。


 与えられるもの全て欲しいままにするのが好きだった。

 響の腕の檻の中、繋がれていることに安堵して眠りについた学生の頃。

 だけど愛に盲いれば盲いるだけ、欲に溺れれば溺れるだけ、怖くなる。


 そのとき初めてめぐるは何故自分の元から周兄が去ったのかを悟った。

 愛しているからこそ彼が破滅に向かうのを見たくない。

 断ち切ることしかの愛が汚れるのを防ぐことは出来ない。


 こんなにも狂おしく、こんなにも全てを賭けて、めぐるを愛してくれた人はいない。

 どんなに嬲られようとも、片翼が引き千切られる痛みを、この身に甘んじて受け入れよう。


 響が愛をぶつけるたびに骨が軋んで叫びを上げる。

 例え肉が腐り落ちても骨はそのまま残るだろう。

 骨となっても響ならきっと愛してくれるだろう。


 別れたくないと言われて抱かれる自分は残酷で傲慢だ。


 愛している。

 責苦に喘ぎながら心の中で呟く。


 愛している。

 憐憫に悶えながら想いを胸に抱く。


 このまま抱かれて死ねたらいいのに──


 めぐるは自分の屍を抱きしめる響を想像し、骨となってこの愛が美しい思い出として締めくくられることと望んだ。



3・灰とダイヤモンド


●面影


 朱鷺田周介の手の中に小さな白い骨があった。

 それはかつて自分が愛し、穢した子供の破片。


 周介にとってめぐるは無垢の象徴だった。

 誰の子か分からぬ自分を生み、男を取っ替えひっ替えした末に蒸発した女。

 母親が雌となり男と交尾する様は、子供の胸に嫌悪と憎悪を伴って残った。

 周介にとって性行とは醜い行為でしかなく、女は忌むべき汚らわしい存在だった。


 それは少年特有の、潔癖さの裏返しでもあっただろう。

 だけど男である限り、本能が目覚める日はやってくる。


 周介が初めて欲情したのは隣の家の鍵っ子。

 愛に飢えた子からは周兄と兄同然に慕われた。


 母親に幻滅した周介にとっても弟のような彼は癒やされる存在。

 だけど愛しいと思う感情は性の渇望に変わり、自制がますます拍車をかけた。


 めぐるの服を脱がせて乳首と性器に触れてみる。

 幼い肢体は人形のようで艶めかしさを感じない。


 脚を拡げさせて合間に性器を宛がえば、一気に埋めて肉の下の骨まで届ける。


 痛い痛いと泣き叫ぶ口唇を手のひらで塞ぎ、証拠を消すよう涙を口唇で拭い取る。

 すぐ終わると言い訳して、涙の分だけ精を注ぎ込んだらもう犯した罪は消せない。


 無残に血を流すめぐるを見たとき、己のしでかしたことを思い知らされた。

 自分に母親と同じ獣の性が隠されていることを、認めなければいけなかった。

 交尾する母親が何を求め数多の男に身を任せたのか、その悲しき女の業も。


 大人に内緒の悪戯は続き、母親と同じ呪縛から逃れられない自分を持て余すと、周介は進学を理由にめぐるの元を離れた。

 めぐると再会したのは彼が大学生となってから、祖母の葬儀で実家を畳むことになってからだ。


「周兄、僕、一緒に暮らしてるヤツがいるんだ」


 めぐるの口から高校時代のルームメイトとの関係を聞いたとき、驚くほど複雑な感情が自分の中にあった。


 同性愛に目覚めさせて性依存者にしてしまったという罪悪感。

 唯一肉体関係を結んだ相手が別の男を愛しているという嫉妬。

 恨まれるでもなく未だ兄として慕って貰えているという安堵。


 だけどめぐるの口から結婚したい好きな女性が出来たこと。

 恋人の嫉妬と拘束が強まり、息も出来ない程だと言うこと。

 そのために今の恋人と別れたいと聞かされると、子どもを捨てて男と逃げた母親をまた思い出した。


「好きだった。響のことを。最初は周兄のように僕の中に入ってきてくれたらいいのにと思っていた。それからずっと閉じ込めておきたくなって、混じり合って一つになればいいのにと思ってた。だけど世界から目を背けているだけで、僕たち二人だけの世界なんてないと気づいたんだ」


 堅い殻に守られた卵もいつかは孵化するもの。

 殻の内側に居続けても、肉は腐り果てていく。


「響と別れたくない。だけどこのままだと二人とも駄目になる気がする」

「それを腐れ縁と言うんだよ。どんなに愛し合っていても、肉がある限りいつか駄目になる日がくる」

「こんなにもひどく抱かれているのに、激しければ激しいほど響の愛を感じて、わざと彼を追い詰めようとする自分がいる。ひどいよね。置いて行かれたくないから置いていくんだ。だから僕ももう──」


 どうしようもない程、この愛に溺れて息絶えている。


「いっそ骨になれたらいいのにね」


 彼が自分の面影を追い続け、胸に秘めたまま他の誰かに抱かれているうちは良かった。

 だが肉欲が思い出を裏切るのなら、身体という澱んだ檻から魂だけを解き放てばいい。


 夜道を歩くめぐるの後を付け、車で撥ねると肉を轢いてとどめを刺した。

 過ちを犯した日のように虚ろな眼差しを向け、何故と彼の目が問いかける。


 自分に禁忌を犯させた子ども。

 唯一身体を繋げ合った子ども。

 罪と咎とを教えてくれた、永遠の無垢な子ども──


 あの日のめぐるはもういない。


「愛している」


 道路に転がる肉の塊をバックミラーで一瞥すると、最初で最後の言葉を吐いて周介は闇の中を走り去った。


●墓


「正直、あなたが羨ましいですよ。あなたは逃げることなく愛を貫き、そして同じくらい愛された」


 ある晴れた午後、周介は墓の前で呟く。


 高城響。

 葬儀屋を営む周介がダイヤモンド葬を勧めた顧客。

 小鳥遊めぐるの遺骨を遺族の元から盗み出した男。

 そしてダイヤモンドの指輪を嵌めたまま死んだ骸。


 響もまためぐるの後を追うように今は骨だけとなり、土の下でダイヤモンドと共に眠っている。

 誰にも会わず閉じ籠もり、餓死して腐り果てたとしても。永遠を抱いて死ねたなら本望だろう。


「あなたが冥土まで持って行ったそのダイヤモンド、それ、偽物なんです」


 ダイヤモンドとして本物。

 めぐるの骨としては偽物。


 周介はダイヤモンドに変えると偽り響から遺骨を取り戻すと、無関係なダイヤモンドを手渡して骨は手元に残した。

 めぐるの姉から遺骨が盗まれたかもしれないと聞かされたとき、もしかしたらと火を付けて響を試して奪い返した。


「羨ましかったですよ、あなたが、とても」


 淫欲に溺れながら純愛を通したこと。

 自分の思い人から愛されていたこと。


 嫉妬と羨望を認めると、周介は懐紙を取り出す。

 めぐるの骨を焼いた灰と、骨を磨り潰した粉を。


「ダイヤモンドでさえ砕こうとすれば砕けます。世の中壊れないものなんてないんです。ましてや愛なんて形のないものを形にして留めようとしても無駄なんですよ」


 これを言うために周介は響に会いに来た。

 めぐるの身も心も捕らえて放さなかった男に、事実をぶつけて一矢報いるために。

 だけど墓は何も応えることはなく、今はもう何を言ったところで所詮は独り言。


 響は彼が望んだ永遠を手に入れた。

 彼はめぐるではなく、愛を抱いて死んだのだ。


「意地悪するのはもうやめにします。どんなに羨んでも私はあなたのようにはなれない。だから嫉妬なんて感情も、もうここで流してしまおうと思います」


 懐紙の包みを開けたとき、風が灰と粉とを攫っていった。

 大気を舞うそれは昼の光に照らされて、ダイヤモンドのように煌めいて見えた。




キャラクター設定書


高城響(たかしろ・ひびき)25歳・会社員

裕福な家庭の一人っ子として生まれるも、小学生のときに両親が離婚し、後に再婚。

感情を表に出さず仕事では如才なく振る舞い、上司や同僚からの評判は良い。

内面は情に深く、人一倍執着心も強い。

めぐるとは高校の寮で同室。関係を結ぶ。

傍目には親友として別の大学に進学してからも付き合いを続けるが、就職してから後はすれ違いが多くなり、事故で最愛の相手を失う。

二度と失いたくないという思いから遺骨の一部を盗み出すも火事に遭う。

遺骨一つを持ち出して逃げたところ、謎の男・朱鷺田に声をかけられる。

「大切なものならダイヤにしてはどうか」という奨めに従い、遺骨を盗んだことを知られないため、そして永遠に共にいるために遺骨をダイヤ返る決意をする。

ダイヤを手に入れた響だったが、次第にダイヤを落としたり盗まれたりすることを極度に怖れるように。

ついに会社を辞め、一歩も家から出なくなると、狂ったまま

ダイヤを抱いて死を迎える。


小鳥遊めぐる(たかなし・めぐる)24歳・故人

3人兄弟の末子。姉二人とは歳が離れ、両親は共働きで不在がち。

近所に住む親戚の朱鷺田周介に懐いていたが、朱鷺田の他県進学と共に心の拠り所を失う。

一見明るくムードメーカーだが依存心が強く、同室の響に朱鷺田の面影を見て身体を重ねる。

しかし就職してからは響との関係は次第にぎくしゃくするように。

響からの束縛、朱鷺田への未練の自覚、同性愛に対する背徳感、新たな異性との出会いにより守られるより守りたい心が芽生えたこと──

響との関係に苦悩する中、引き逃げ事故に遭い死亡。

命の灯火が消える前に見たのは、自分を跳ねた車に乗る朱鷺田の姿だった。


朱鷺田周介(ときた・しゅうすけ)男・33歳・会社員

葬儀屋を名乗り響の元に現れる謎の男。めぐるの親戚で『保護者』。

常に笑顔を絶やさず、営業マンらしく物腰も丁寧だがどこか腹黒い。

男を取っ替え引っ換えする母親を見て育ったため、女性不信で女を愛せない。

一方で浮気現場を目撃したことがきっかけで、肉体行為を嫌悪しつつも、呪縛のような性欲に想い悩む。

幼いめぐるを可愛がるが、我慢しきれずに肉体関係に及ぶと、罪悪感から進学を機に地元を離れる。

その後は良き兄として振る舞ってきたが、社会人となっためぐるから響との関係について相談を受ける。

めぐるを依存症にしてしまったこと、自分より深い関係の相手がいたこと、何よりも肉欲に対する嫌悪感とめぐるに対する理想と執着から、『永遠』とするために殺害を決意。

遺骨が盗まれたことを知るとダイヤとすり替えることを思いつき、響に偽のダイヤを掴ませて遺骨を奪い返す。

響が死亡したことを知ると、響きの墓の前で肉であり形であることに囚われることの愚かさ、空しさを説きながら砕いた遺骨をばらまいた。

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